山を歩いて、小鳥の声を探します。
素敵な声が聞こえたら、すぐさまです。マイクを地面に、あるいは木の枝に設置して、電源のスイッチを入れる。

小鳥の森の真ん中にある公園
手で持っていては、だめなのです。
自分では止まっているつもりでも、知らず知らずに体が少し動きます。そのガサゴソという雑音を、マイクは拾ってしまう。 人の耳には聞こえないくらいの小さな身じろぎでも、録音には残ります。
ですから、自然の中に置いてきます。機械だけをそこに残して、自分は離れる。
けれど、これがそう簡単ではありません。
数メートル離れても、足音は拾うのです。
落ち葉を踏む音、枝を折る音。近づくのも、離れるのも、雑音になります。
だから——じっとしている。

小鳥の森、じっと立つ
小鳥が鳴きやむまで、動きません。
2〜3分で終わることもあります。10分以上になることもあります。
数分たって、もういいだろうかと思う。けれど、そこで止められないのです。
「このあと、もっといい声で鳴いてくれるかもしれない」
そう思うと、停止のボタンが押せません。
もっといい声が録れたら。家に帰ったら、それをまた楽しく聴けるぞ。 そう思うと、もっともっと、たくさん録音し続けたくなります。
だから、動けない。
喉が渇いたなぁ。水筒のジュース飲みたいけど、蓋を開けるパコッという音がはいっちゃう。待ってるときは特におやつだ食べたくなる。だけど好きなおせんべい。「バリバリ」なんて食べれないよね。
鳴きやんだかな?あと数秒待つ。
あ、また鳴きだした!
やめるタイミングもなかなかはっきりしない。
じーっと待つ。この時間。
動きたいけど、動けない。だけど、すごくワクワクする時間なのです。
ここで、ひとつ書いておきたいことがあります。
録音を家で聴くと、とてもきれいに聞こえます。私が持ち帰りたかったのは、まさにその音です。
けれど本当は——生で聞いている、いまこの瞬間に聞こえている声が、いちばんきれいなのです。
じっと立って、動かずに、耳だけを開いている。その十分間に聞こえているものが、いちばんです。
本当に、極上の時間です。

美しい場所で美しい声を聴いて待つ時間
家に帰って、録音を聴きます。
すると、その声を聴いた瞬間に、そのときの情景も、そのときの気持ちも、一緒に思い出されるのです。
あの木の下だった。風が止まっていた。足がしびれかけていた。もうすぐ鳴きやみそうだと思っていた——
録音は音しか記録していないはずです。それなのに、ひとつひとつに、そのときの景色や感情まで録音されているように思います。
もし、その気持ちまで、小鳥の声と一緒に、全部届けることができたら。
本当に、いいですよね。
朝の目覚ましに使っている「小鳥の声めざまし」には、そうして録った声が入っています。十分間じっと立って持ち帰ってきた、あの声です。
気持ちまで届けられているかは、分かりません。でも、届けたいと思って作りました。
次は、三田洞の朝のことを書こうと思います。
岐阜の山あいから、羽賀明人

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